夜型に厳しい社会

1限、ゴミすぎる。

半端なく眠いうえに通勤通学ラッシュに揉まれ、全く頭に入らない状態で落とすと痛い科目ばかりを受けさせられる。加えて、1限の講義に限って出席に厳しい講師率が高い。どうしてそこまで出席にこだわるんだ、何に駆られてるんだ、やる気ない奴が来ない分には良いことじゃないか、など悶々として朝からゴミみたいな気分で一日が始まる。

しかし、社会人はみな当然に1限である。フレックスタイム制など自由な社風の職場もあるだろうが、そんなのは一部も一部。そんなんじゃ働けないぞ、と言われる。全く持ってその通りである

強いて詭弁を述べるとすれば、労働のように苦痛の対価が生じるどころか、学費という形で懐から引かれていく状況の違いによって単純比較はできない、ってくらいであろうか。講義を受けて逆にお金がもらえれば出席できるかもしれない。そんな気がしてきた。1限に来る学生はみんな優秀で偉いので、表彰して給付型の奨学金でも下さい。←辞めちまえ

そもそも夜型や朝型が明確に存在する中で、全人類が朝型のリズムに合わせて活動しなければならない構造は問題ではなかろうか。個人個人が活動する時間帯を選べれば生産性も上がりそうなものなのに...。

美容師よ、話しかけないでくれ

美容師との会話、だるすぎる。

楽しい瞬間がないわけでもないが、やはり多くの場合は喋らされている感が強い。話を広げるためにやたらと個人情報を聞かれるのも厄介。そこでいちいち本当の事を言っても膨らまないので、ちょっと嘘を混ぜたらだんだん自分とは異なる人物と化してしまい、ますます疲弊する。架空の友達や架空のバイトの話をしているとき、俺は何しにここに来たんだと思う。

もう、わかるだろ。こんな顔してんだぞ。会話好きな訳ないだろ。その明らかに無関心な「へ~」やめろ。興味ないなら質問しなくていいんだぞ。俺なんかに気を遣うな。カットに集中してくれ。体力残してもっとこう、話したそうな奴にリソースを割け。てかドライヤー中に話しかけてくるのはもはや何。

一応予約をするときサロンへのメッセージなんかで「話しかけなくて大丈夫です」とか書いてもいいのだが、自分はめんどくさい人間なので、そう書いたうえで来店するのもちょっと気まずく感じてしまう。結局感情をゼロにして受け答えマシンと化すことしかできない。根本的に、ああいう美容系に携わるような人間とはもう脳の構造からして違うのだろうと実感させられる瞬間である。

呼吸のような頻度でコメントできる人、何者?

ストーリーマーだったりVだったりといった人らの配信を見るのが好きなんだが、時折目を向けるコメント欄にはいつもかなりの頻度でコメントしている人がいて、見るたびに関心する。

自分は配信を見ていても1時間に1回か2回くらいしかコメントを書きたいと思える瞬間がないのだが、すごい人たちはもう1分おきどころか数十秒くらいの頻度でずっとコメントしている。配信にもよるがそんな人がさらに何百人、何千人といるので、かなりのスピードでコメントが流れていく。

よくそんなに書きたいコメントが浮かぶな、疲れないのかな、など、彼らと自分とには途方もない差があるように感じる。いったいこの違いはどこから生じているのだろう、コメントに対する認識?頭の回転の速さ?分からないが、そういう人ってSNSでも毎回のように配信者にリプライを飛ばしていて、バイタリティが凄まじい。推すとか応援するっていうことに対しても真剣に取り組んでいて、それすら曖昧な自分ってどこまで無気力なんだろうか、なんて自己嫌悪すら湧いてくるくらいだ。

「せざるおえない」←見ると叫びたくなる

「延々と」を「永遠と」とか、「しづらい」を「しずらい」と書かれるのもめちゃくちゃムズムズする。

言いたいことはわかるし指摘しても空気を悪くしそうなので、特に身近でそういう人がいたところで早口を繰り広げることはないが、見るともう布川みたいにキャーーーー!!!って叫びたくなる。特に真面目そうな文章でこの誤用が出てくると最悪な気分。なんなんだろうね、別に自分自身めちゃくちゃ日本語愛があるわけでもないし、勉強熱心な訳でも、委員長的真面目キャラでも決してないんだけど。

とはいえ、自覚がないだけできっと自分にもこういう知識不足ってどこかにあると思うので、やっぱり勉強大事。人のふり見てあーだこーだですね。

主人公の語り多いアニメ見ると独り言増えるよね、それと便座カバー

AbemaでCLANNADを一気見しました。

Key作品はリトバス(ゲーム)、AB!、Charlotteを履修してたんですが代表作のCLANNADは見たことがなかったため、良い機会でした。いたるさん絵の雰囲気を残しながら見やすい可愛さに調整されており、京アニの手腕を感じます。

見ていてかなり意外だったのは朋也の卒業後ですね。そもそもこのアニメ、高校時代だけだと思ってました。しかも高校出て地元の電気工に就職、20歳前後で結婚して出産という、メイン層のオタクたちが通らないようなライフスタイルをダイレクトに描いていて衝撃。プリウス乗ってイオンデートされたらどうしようって震えてました。

Keyといえばの感動要素ですが、まぁ泣きましたね。一発目だったのもありますが、風子の話は一通り見てもなお印象的でした。あとは春原との殴り合い、「お前ならいいって思ったんだよ!」でブワワッと来ました。

そして1期のフラグ全折り回、藤林姉妹の表情遷移がリアルでもらい泣き。アニオリらしいですが、こうもスマートに軌道修正するのか、という驚きもあり、特に記憶に残ったシーンを選ぶとすればここかもしれません。

しかし社会人編からは予想外の生々しさで、確かに感動はしたのですが、見ていて疲労する場面が多かったですね。それだけのリアリティがこのアニメで表現されている、とも言えます。「CLANNADは人生」は伊達じゃない。

ずっと気になってた作品だったから見れて良かった。芽衣が一番かわいい。

学校いるだけでスリップダメージ受けてる感覚、あれ何?

大学で過ごしていて最も苦手な時間が、昼休みだ。休み時間もかなり苦痛だが、席を取ってスマホでも眺めていればすぐに講義が始まる。しかし、昼休みは50分。長い。長すぎる。

どこを探しても人だらけで居心地が悪い、結局たいていの場合、図書室で大して読みたいわけでもない本を読むなり、勉強ごっこをするなりで難を逃れる。

そんな長い休み時間、強く感じる精神をむしばむようなスリップダメージ。あれ何?大学で過ごしていると常にあのストレスに見舞われる。ただ環境に身を置いているだけでじりじりと神経がすり減り、ようやく帰れるとなった途端、疲労感が一気に押し寄せる。ひどいときは頭痛が出る。そんなに長時間講義を受けたわけでもないのに、まるで一日中いたかのような気分でふらふらと帰路につく。

なんと燃費の悪い人間なのだろう。

厭世ソードと無敵

うわ死にて~、くらいの感情って多分誰しもうっすら一度は抱えたことがあるんじゃないか、自分もそんな人間の一人。いや死ぬのめっちゃ怖いし極力死にたくないけどね。

とはいえ、そういった厭世観を持つことで、かえって気楽に生きられている気がしている。すでに落ちるところまで落ちた自分にとって、もはやたいていの失敗や己の無能を突き付けられたところで、もっと背中押す気で来いよ、そんなんじゃまだまだ生きながらえちまうよ、なんて考えてる自分がいる。それでも落ち込みはする。もちろん。

そしてこれは、いわゆる無敵の人が誕生する典型的な感情の動きなのだろうと、身をもって感じる。この厭世ソードを人や世間に向けて振り回してしまうケースもあるが、上手く柄を握って、行く手を阻む蔓を絶ち、切り開くために利用したいものです。