主人公の語り多いアニメ見ると独り言増えるよね、それと便座カバー

AbemaでCLANNADを一気見しました。1週間限定でOVAも含めて全話無料、太っ腹すぎる。

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Key作品はリトバス(ゲーム)、AB!、Charlotteを履修してたんですが代表作のCLANNADは見たことがなかったため、良い機会でした。いたるさん絵の雰囲気を残しながら見やすい可愛さに調整されており、京アニの手腕を感じます。

見ていてかなり意外だったのは朋也の卒業後ですね。そもそもこのアニメ、高校時代だけだと思ってました。しかも高校出て地元の電気工に就職、20歳前後で結婚して出産という、メイン層のオタクたちが通らないようなライフスタイルをダイレクトに描いていて衝撃。プリウス乗ってイオンデートされたらどうしようって震えてました。

そしてKeyといえばの感動要素ですが、まぁ泣きましたね。一発目だったのもありますが、風子の話は一通り見てもなお印象的でした。あとは春原との殴り合い、「お前ならいいって思ったんだよ!」でブワワッと来ました。

そして1期のフラグ全折り回、藤林姉妹の表情遷移がリアルでもらい泣き。アニオリらしいですが、こうもスマートに軌道修正するのか、という驚きもあり、特に記憶に残ったシーンを選ぶとすればここかもしれません。

しかし社会人編からは予想外の生々しさで、確かに感動はしたのですが、見ていて疲労する場面が多かったですね。それだけのリアリティがこのアニメで表現されている、とも言えます。「CLANNADは人生」は伊達じゃない。

ずっと気になってた作品だったから見れて良かった。芽衣が一番かわいい。

相談の価値

悩みや不安を言語化することで整理し、視野を広げてくれる相談という行為は、解決策を練るうえで合理的だ。だが、何度も自分なりに整理して処理して、なおもどうしようもない悩みを抱えた時、相談の持つ価値とは何なのだろうか、と思ってしまう。

当然、相手方の人間は相談を受け、知っている限りの選択肢を挙げる、といった以上の役割を持たない。医者であれば薬を処方するくらいはできるだろうが、その悩みに対する受け答えは無難なもので、最終的にはあなたが決めることだから、でも死なないでね、といったくらいに収束する。結局じゃあこの時間に何か価値があったのか、と落胆する。

実際のところ、優しい言葉が欲しい、甘えたいだけなのだろう。頑張らなくていいとか、自分のペースでいいとか、休んでいいとか、そんなことを言われたくて相談しに来ただけなのだろう。だがそれを言っている人間からすればやはり私は他人事で、本当は頑張らなければいけない、変わらなければいけない。言われたとおりに歩を止めて状況が悪化しても、相談を受けた人間は責任など持たないからだ。

ネガティブなワードを検索すると「ここでお悩み相談できます」といった案内で電話番号が表示されるが、話して解決する程度なら...なんてひねくれたことを思う。そもそもあんまり繋がらないらしいけどね、ああいう番号。聞いてるだけで気が滅入っちゃいそうなのに、仕事とはいえすごい。

学校いるだけでスリップダメージ受けてる感覚、あれ何?

大学で過ごしていて最も苦手な時間が、昼休みだ。休み時間もかなり苦痛だが、席を取ってスマホでも眺めていればすぐに講義が始まる。しかし、昼休みは50分。長い。長すぎる。

どこを探しても人だらけで居心地が悪い、結局たいていの場合、図書室で大して読みたいわけでもない本を読むなり、勉強ごっこをするなりで難を逃れる。

そんな長い休み時間、強く感じる精神をむしばむようなスリップダメージ。あれ何?大学で過ごしていると常にあのストレスに見舞われる。ただ環境に身を置いているだけでじりじりと神経がすり減り、ようやく帰れるとなった途端、疲労感が一気に押し寄せる。ひどいときは頭痛が出る。そんなに長時間講義を受けたわけでもないのに、まるで一日中いたかのような気分でふらふらと帰路につく。

なんと燃費の悪い人間なのだろう。

厭世ソードと無敵

うわ死にて~、くらいの感情って多分誰しもうっすら一度は抱えたことがあるんじゃないか、自分もそんな人間の一人。いや死ぬのめっちゃ怖いし極力死にたくないけどね。

とはいえ、そういった厭世観を持つことで、返って気楽に生きられている気がしている。すでに落ちるところまで落ちた自分にとって、もはやたいていの失敗や己の無能を突き付けられたところで、もっと背中押す気で来いよ、そんなんじゃまだまだ生きながらえちまうよ、なんて考えてる自分がいる。それでも落ち込みはする。もちろん。

そしてこれは、いわゆる無敵の人が誕生する典型的な感情の動きなのだろうと、身をもって感じる。この厭世ソードを人や世間に向けて振り回してしまうケースもあるが、上手く柄を握って、行く手を阻む蔓を絶ち、切り開くために利用したいものです。

夏、もはや概念と実体がかけ離れすぎてないか

「夏補正」はすさまじいもので、夏をテーマにした作品というだけで名作力+500%くらいの強烈なバフ量がかかっているように見える。ループもの作品もこれに近いところがある。

かくいう自分も夏テーマの作品は大好きだけど、最近はちょっぴり斜に構え始めてしまい、「これ、夏じゃなきゃそんなエモくないだろ」と思ってしまうこともあり、作品としての強度×夏補正による強烈なバフの相乗効果が作品を名作たらしめているのではないか、など考えるほど。

一発何か当てようと思ったら夏という概念を自分のものにしたもの勝ちなのかもしれない。僕が特に好きな作品である秒速5センチメートルはコスモナウトでの夏はもちろん、春と冬、それぞれ季節の魅力を活かしながら丁寧に描かれていて、夏一本じゃないところが逆張り斜に構え人間にとって永遠のツボです。最高です。何の話?

ところで最近クソ暑いよね。春なのにもう夏みたいな日差し。実際の夏は一歩外に出るだけで帰りたくなる。くせに年々期間が延びてる気がする。白いワンピースの美少女なんてどこにもいない。いたとしても絶対に自分に振り向いてくれなくて草。

現実逃避:昔のニコ動を見る

最近ハマってる現実逃避方法。

ニコ動の動画検索には動画の時期を指定する機能があって、これで2007年~2014年、みたいに古い動画だけに絞ってひたすら面白そうなのを見るだけ。

有名過ぎない程度の動画がいい。「草」みたいな最近のスラングすら誕生していない、純粋に「www」だけが流れる動画を見ていると、なぜかわからないが心底気持ちが落ち着く。昔なら邪魔に感じたであろうコメントの喧嘩も微笑ましく、懐かしく、味わい深く思える。

どの動画も自分がまだ小学生の頃とかに投稿されてて、なじみがあるわけでもないんだけど、多分その動画やコメントの不変さに惹かれてるのかな、と感じる。

ちなみに自分は料理系の動画が特にお気に入り。実写の画質とか編集とかBGMの選曲に時代を感じられるので。

note怖い

なんとなくデカいツイッターくらいの気持ちでブログを書きたくなった。今の時代ならnoteなんだろうけど、なんかnote怖い。ブログとして使ってる人もいるんだろうけど、有益な文章を書かないと怒られそうな怖さをうっすらと感じて避けてしまった。別にここなら駄文が許されそうとかではないんだけど、「見つかりにくい」メリットもあるな、と感じた次第。